2014年6月28日土曜日

雨上がりの6時

すきな作家

アントニオ・ロペス
エミール・クラウス
川瀬巴水
小磯良平
植田正治

似ているところは色々あるけれど、一番の共通点は彼らの画集を一冊も持っていないことでした。熱烈に好きではない作家の画集はポンポン買えるけど、熱烈に欲すると観るのが勿体無い気がしてなかなか手が出ません。高野文子の漫画しかり。
なので川瀬巴水の画集を手に入れました。といっても感想が出てきません。
本や映画、音楽についてだったら、この人は何々を考えてだの、こうなると何々だだの、あーだこーだ言えますが、それが絵画になるとてんで言葉が出てきません。映画や本に向いてる焦点を画家に向けれたなら、もっと絵画の知識な増えるはずなのに全く言葉にする気がおきません。絵画で得た知識は絵画に出すべきとすら思ってしまいます。
最近は見るだけならデザインや日本画のほうが好きです。油絵になるとほとんど興味を失ってしまいます。そんなときはアントニオ・ロペス特集の日曜美術館をみるしかないです。

2014年6月27日金曜日

棒がいっぽん


すべての漫画のなかで「棒がいっぽん」がいちばんすき。読んでいると体験したことのない空気が吸える。
いちばん読み込んでいつも鞄の中にいてボロボロになったのは「るきさん」に違いないけれど、やっぱりこの本。高野文子さん自身は、るきさんについて「重要視してない本」と言っていてヤッパリそうなんだなーという気持ちと、でもるきさんはいいご本よ、という気持ちでカンパリソーダ。
高野文子さんの本で、おともだちとラッキー嬢ちゃんはまだ読んでない。読むのが勿体無くて、でも気になってはや三年。

2014年6月25日水曜日

ラナデルレイ


この半年ラナ・デル・レイばかり聴いています。
この人は大層魅力的な人で、底が見えなそうで案外底が浅い、が全てが見えてこない人です。最近この人に取り憑かれてしまったような気分です。

サッドコア、ギャングスタ・ナンシー・シナトラと自称している、ひとめみれば可憐な美人ですが、八重歯をゴールドに変えていたり、けれどタトゥーはしていなかったり、美しくゴージャスですが私服が夢をぶちこわすダサさだったりで魅了されます。古き良きアメリカをテーマに掲げているようでもあり、DV男に暴力振るわれても彼には私がいないとだめなの的なバンドマンの女みたいでもあり、全てお見通しよブリジット・バルドーのようでもあり、多面的ですが、中身はインディーズ時代に出したようなフォークソングの素朴な女の子に思えてなりません。
歌詞も声も、イッちゃってる女の子と母なる愛とカルメンのような魔性な女と少女性をいったりきたりしていて、予想不可能です。もちろん声質が曲の中でもどんどん変わるのである程度加工していることをふまえても、生歌でのCDとまるっきりちがうところも良いです。生歌では本当にただの女性、という感じ。
何がこうも惹きつけられるのかというと、彼女の中の偽物っぽさ、いつか全てが嘘でしたと裏切られそうな部分と、曲のなかの確かな実力であると思います。CDのなか、PVのなかで完成されていて、実際に歌う彼女の嘘っぽさ(というとかなり失礼)に惹かれます。
この路線でいこうと決めたのは彼女自身なのか周りの大人なのかわかりませんが、インディーズ時代のさわやかな美しい声だけではなくて、無理して出しているような低い声、ビジュアルに上記のへりくつ抜きにしてもうとってもすきです。クラシックな音楽で自らが白人的美人であるのに、周りのピアノギターバンドマンを黒人でまとめるバランス。PVで恋人役はほとんど親父、などあざとい!けれど釣られてしまう。わかっていても私も興奮の渦中に入れてくれ!なんて思ってしまいます。
アルバムBorn to dieのイントロと畳み掛けてくる前半4曲は、何度聴いたかわかりませんが、よいです。眠りの森の美女のonce upon a dreamもよいです。よいです。

2014年6月24日火曜日

美しいソーダ



チチヤスのロゴはうつくしい
ヨーグルト味のソーダは懐かしくてあまい

2014年6月22日日曜日

アイスキャンデー


美しいパッケージ
どこで食べよう

2014年6月17日火曜日

安井曾太郎いいなぁ
日曜美術館見てから植田正治の黒の深さが気になります
生涯アマチュア写真家として活動され、非演出の波がきてもとことん演出し、納得いくまで撮り加工し発表する。こういうものをみると、絵と写真の差をまざまざと見せつけられた気分になり考え込んでしまいます。鳥取砂丘と奥さんの写真は植田さんの好きなものが詰まっているようでいきいきしていました。

胃と腸が弱り、せっかくの休日をお布団のなかで過ごしてしまいました。
これではだめだ、と午後からは眼科でコンタクトをつくりに。奇跡的に左目には入りましたが、時間がかかってしまいナースさんのため息と薄ら笑いがこわい…。がんばって練習します。

2014年6月16日月曜日

美しいドーナッツ


甘いけど苦い(いっこたべた)

今日の水筒の中身はレモネード

ジョンのみる夢

SHERLOCKのS3見て感じたジョンのみる夢。

元々聖典でジョンがメアリーを選んだ理由は、シャーロックと過ごすアドレナリンが出るような毎日を求める一方で、普通の男としての幸せを求める象徴としてメアリーがいると思っていました。けれどメアリーもアドレナリンの出るような日常を与えてくれるような人で、無意識下でもそんな彼女を選んだジョンの業の深さに最初はどうにかなりそうなぐらい惹かれました。でもそれだったらシャーロックいらないじゃない、とまた頭痛くなる程ウンウンなやむ。

それに3話の冒頭でシャーロックが一ヶ月いなくなっていたとき、また戦場の夢を見ていました。今までその夢はジョンにとって悪夢だと思っていましたが、今になって考えてみればそれは願望ではないのかと思い至りました。退屈な日常に飽きていたから、夢で補っている。 たった一ヶ月で夢を見るなら、この2年はどうだったのか想像しかできませんが、退屈していたことだろうと思います。

これは妄想というか私の願望になりますが、S1の冒頭でも同じようにみていた戦場にいた悪夢も、シャーロックと出会い見なくなった。見る必要がなくなったから悪夢も消えたとも考えられるな〜と。これは最近読んだ本に影響されの話ですが、原因論ではなく目的論で、PTSDのため足が不自由で杖を必要としたではなくて、日常を退屈にさせているのはこの不自由な足のせいだ、とすりかえて考えることも可能かな〜〜〜と。これは戦場の悪夢にもいえることです。全てはシャーロックとの出会いではぱったり消え、シャーロックが飛び降りたあとは、シャーロックが飛び降りる悪夢(をみたかもしれない)。彼が帰ってきてまた一ヶ月シャーロックいなくなったら、また戦場の悪夢。
S3ですから、これから起こることを暗示しての悪夢で、たいした意味はないかもしれませんがヒジョーーに気になる。ジョンが弱い人間だとは思いませんが、それほどまでに退屈だったとは思っています。もうドクターわかりません。

日常が上手くないってないとき、夢の中で暮らすことが最も楽しい、寝ているときが最も楽しいとなりがちかなと思います。ジョンがそこまで思っているとは全く考えていませんが、悪夢こそ願望だったりするのかなと思うと私が眠れません。

リベルタ

らららクラシックでピアソラ特集していました。ピアソラがクラシックなのかは置いてといて、リベルタンゴかっこいい。
アルゼンチンタンゴいいですね。フラメンコとかマタドールとかと混同していましたが、タンゴはアルゼンチンのものなんですね。地上でのタンゴは恐ろしさよりうつくしさ。氷上でのタンゴはブレードで相手を切るかもしれないという恐ろしさで魅了倍増だと思います。アイスダンスのグリシュク/プラトフ組の伝説のリベルタンゴは恐ろしさ、ピッタリそろった足と何度観ても飽きません。

アイスダンスで昨季ケイトリン/ポジェ組がブエノスアイレスのマリアを滑っていました。ケイトリンがなんだかコーチのアンジェリカの現役のころのように見えて怖美しい。かといってポジェがオレグのようにみえたわけではない。でもこの組は長身だし、もっと胡散臭さが増えたら天下とって欲しいと願っています。あと大好きなカッペリーニ/ラノッテ組の魔法みたいなスカートのSDの42番街。音楽も振り付けも衣装も魔法みたい。

今更ながらキャンデロロの長野五輪のダルタニアン観て、惚れ惚れしました。そら人気でるわ。サタデーナイトフィーバーのEXは、フェルナンデスのエクササイズEXに通じるものがあってどの年代でもああいう人はいるんですね。クワド大時代ですが、私はクワドより3A好きなのもあり、ミスター3Aたちを応援したいのです。でもいつか宇宙人が4Aを飛んだらクワド好きになります。

ななふしぎ

3年前ななふしぎシリーズのZINEを定期的に発行しようとしていたことを思い出しました。

日常でななふしぎだと思うこと
ななふしぎ洗顔クリーム
ななふしぎ灯台プール
・・・

そこで途切れました。
ふたふしぎしか発見できなかったノネ
漢字とひらがなとカタカナが詰まっているところがトッテモイイと思っていました。
土星くんと火星ちゃんが現実から逃避しているまんが。ふつうのこたちだけど、木造二間の空間ではふたりは宇宙の世界に生きていると夢想できる。
夢想、という言葉がたまらなくすき。

古代ギリシャの哲人のなかではプラトンがすきです。ソクラテスにとってのプラトンのように、私は土星くんと火星ちゃんの対話に見つめたい。

2014年6月15日日曜日

横丁に立った日


岩波少年文庫の石井桃子さん訳のくまのプーさん読みました。
今ではプーといえば羽生選手のティッシュカバー、もしくはブライアン・オーサーコーチのことを思い出し、あのおっとりしたおじさん声のアニメも思い出します。それとはすこし違った小説でのプーは小さい頃にみていたプーと少し違っていて驚きました。

クリストファー・ロビンは父の作った空想の自分、と遊ぶプーと、現実では動かないぬいぐるみのプーを同一視できるところがトッテモイイと思いました。それは昔はできていたこと(私は万年夢見がちなので今でもしますが)の象徴である気がします。この空想の遊びはプロの小説家である彼の父によって具体化された現実だとクリストファー・ロビンは思っています。父親に「僕はこのあとどうなるの?」や「僕はふうせんをつかまえたんだね」と尋ね、経験したはずのない空想を、自分の過去に起きたこと思っている。それがなんとも愛おしくってたまりません。

作中でプーはひたすらおばかな存在として描かれます。昔見た印象だとクリストファー・ロビンはお利口な子供でみんなをまとめる役なんて感じでしたが、小説での彼は年相応に傲慢ちきでおばかさんでとってもかわいい。
「かわいくてしかたがないというふうに「おばかなプー」と呼んでいて」と彼にとってプーは守らなくてはいけない存在なのか、対等な友達なのか、私にはまだ理解できていない部分ですがナントモいいです。
それら全てが切なくって、昔からいたキャラクターとしてのプーさんと、クリストファー・ロビンのプーとの違いがトッテモよく分かって、なんだか泣きたくなりました。ワー児童文学の底はカナリ深い!

挿絵がすきです。過度にデフォルメされていなくて動物がトッテモいきいきしている!一巻であるくまのプーではすべてが心地よくって、全部描かれていなくて、私たちが想像で描いてある線の隙間から、違う生き物が発見できそうです。二巻ではきっちりと作り込まれていました。私は一巻の絵がとても好きで、みえにくいところはみえにくいままでいい、と言われていたことは本当だったんだなと思いました。


岩波少年文庫をもっと読んでいきたいと思いました。

ソーダ水

今年度は週によってグラグラ気持ちが変わる。
水筒に入ったCCレモンに喜ぶくらい私はまだ子供。

開局

自分が見たもの読んだもの聞いたものに対して自分の考えを書く、ということが大好きなので自己満足的に書いていきたいと思います。

自己満足かつ自己完結なので成長できないことまちがいなし!書くのはとても好きですが、おしゃべりして伝えることが異常に苦手なので、やっぱり成長できたらイイナー…。

私はどうしても長文になってしまうので、ブログという形式が好きです。
このところ人に伝わってこそ作品が完結するんだなと思い、プレゼンテーションの力を鍛えなければと日々滑舌を鍛えている次第です。
私自身好きな絵と描いていく絵は違うだろうし、まだ分かっていない見えていないことばかりだけれど研究しなければ!

灯台プール


灯台プールです。
写真はW&Nの水彩絵の具が100円で買えた記念に。